高齢者の「見えにくさ」「分かりにくさ」を解消する色彩デザイン:安全な移動と自立を促す色の活用術
高齢者施設で日々ケアに携わる皆さま、こんにちは。「ケア空間の色彩デザインガイド」編集部です。
高齢者施設での生活において、入居者の皆さまの安全と自立は、QOL向上に欠かせない要素です。しかし、加齢による視覚機能の低下や認知機能の変化により、「物が見えにくい」「場所が分かりにくい」といった課題を抱える入居者さまは少なくありません。
こうした「見えにくさ」「分かりにくさ」は、転倒や衝突といった事故のリスクを高めるだけでなく、自分でできることへの自信を失わせ、活動意欲の低下や混乱、さらには自立性の喪失にも繋がる可能性があります。
この記事では、高齢者の視覚特性や認知特性を踏まえ、「見えにくさ」「分かりにくさ」といった課題を色彩デザインの力で解消し、安全な移動や自立支援に繋げる具体的な色の活用法について解説します。現場で働く皆さまがすぐに実践できるアイデアもご紹介しますので、ぜひ日々のケアにお役立てください。
高齢者の視覚と空間認識の変化
まず、高齢者の視覚機能がどのように変化するか、基本的な知識を押さえておきましょう。
- コントラスト感度の低下: 明暗の差や色の濃淡を見分ける能力が低下します。これにより、床と壁の境目、段差、ドアノブなどが周囲に溶け込んで見えにくくなります。
- 色の見え方の変化: 特に青や緑系統の色が見えにくくなり、黄色や赤系統の色が比較的見えやすい傾向があります。また、色あせて見える、濁って見えるといった変化も生じます。
- 視野の変化: 周辺視野が狭くなることがあります。
- 光覚順応の遅延: 暗い場所から明るい場所へ移動したとき、あるいはその逆の際に、目が慣れるのに時間がかかります。
- まぶしさ: 光をまぶしく感じやすくなります。
これらの視覚機能の変化に加え、認知機能の低下がある場合、空間を認識したり、物体の位置や用途を理解したりする能力にも影響が出ることがあります。「ここはどこだろう?」「これは何に使うものだろう?」といった混乱が生じやすくなります。
色彩は、このような状況にある入居者さまにとって、空間や物体に関する重要な「情報」を提供することができます。適切に色を活用することで、「見えにくさ」「分かりにくさ」による不安や混乱を軽減し、安全な行動や自立した生活を支援することが可能になります。
「見えにくさ」「分かりにくさ」を解消する色彩の活用事例
次に、高齢者施設内の様々な場所で、「見えにくさ」「分かりにくさ」を解消するために具体的にどのような色の活用が考えられるか、事例をご紹介します。
1. 廊下・階段
廊下や階段は、施設内の移動に不可欠な場所であり、同時に転倒リスクの高い場所でもあります。色彩を活用することで、安全な移動をサポートできます。
- 段差の識別: 階段の蹴込み板(垂直面)に踏み板(水平面)と比べて明度差の大きい色を使用します。踏み板が明るい色であれば蹴込み板を暗い色に、踏み板が暗い色であれば蹴込み板を明るい色にすることで、段差の視認性が格段に向上します。これは廊下のわずかな段差や、スロープの始まり・終わりなどにも応用できます。
- 手すりの識別: 壁の色と異なる色(特に明度・彩度のコントラストが高い色)の手すりを設置します。手すりがどこにあるかが明確になり、掴みやすくなります。黄色やオレンジなどの暖色系は比較的視認性が高く、注意を促す効果もあります。
- 曲がり角・出口の誘導: 曲がり角の壁面の一部に目立つ色のサインを付けたり、目的の部屋や共用スペースへの出口付近の壁の色を変えたりすることで、進むべき方向が分かりやすくなります。
2. 居室
入居者さまにとって最もプライベートで安心できる空間である居室でも、色彩は安全と自立を支える重要な役割を果たします。
- 操作部分の識別: ドアノブ、電気のスイッチ、エアコンのリモコン、引き出しの取っ手など、頻繁に触ったり操作したりする部分を、周囲の色とコントラストのある色にします。例えば、白い壁のスイッチプレートをベージュにする、木目の扉の取っ手を黒やシルバーにするなどです。小さな部分でも見分けやすくなることで、自分で操作できる機会が増えます。
- 家具の識別: ベッドのフレームや椅子の肘掛け、タンスの角など、ぶつかりやすい家具の縁に目立つ色のテープを貼るなど、家具の輪郭を際立たせることで、存在を認識しやすくなり、衝突を防ぐのに役立ちます。
- 床と壁の境界: 床の色と壁の色に十分な明度差を持たせることで、空間の広がりや境界が分かりやすくなります。これにより、部屋の端まで安心して歩けるようになります。
3. 浴室・トイレ
浴室やトイレは、滑りやすく、一人での動作も多い場所です。色の力で安全と自立を力強くサポートできます。
- 便器の識別: 白い空間に白い便器では、高齢者には非常に見えにくくなります。床や壁を白系統にする場合、便器はブルーやグリーンなど、落ち着いた色合いでも視認性の高い色を選ぶ、あるいは便座カバーや手すりに目立つ色を使用するなど、便器の存在が明確になるようにします。
- 手すり・呼び出しボタン: 浴室内の手すりや緊急呼び出しボタンは、壁の色と異なる明度・彩度の高い色(オレンジ、黄色など)にすることで、いざという時にすぐに見つけられるようにします。
- 水の視認性: 浴槽のお湯の色を薄いブルーにするなど、お湯の色と浴槽の色に差をつけることで、浴槽の深さや縁が分かりやすくなります。
4. 食堂・共有スペース
これらの場所は、他の入居者さまやスタッフとの交流の場であり、活動の中心となる場所です。空間の分かりやすさは、参加意欲や自立的な行動に繋がります。
- 椅子の識別: テーブルの下に収納されている椅子が見えにくい場合があります。椅子の脚や座面の一部に明るい色や目立つ色を使用することで、椅子の存在が分かりやすくなり、自分で椅子を引き出して座る動作をサポートできます。
- 食器の識別: 白い食器に白いお粥など、背景と内容物のコントラストが低いと、食欲が湧きにくかったり、こぼしやすくなったりします。食器の縁に色が付いたものを選んだり、食器の色と料理の色にコントラストをつけたりすることで、食器や料理の形、量が分かりやすくなります。
- 目的のコーナー: テレビコーナー、読書コーナー、アクティビティコーナーなど、特定の目的を持つスペースにテーマカラーを設けることで、「テレビを見たい時はあの青いコーナーへ行こう」といったように、空間の構造を理解しやすくなります。
色の効果と実践的なアイデア
これらの事例で共通するのは、「見えにくさ」「分かりにくさ」の主な原因であるコントラスト感度の低下や色の見え方の変化に対応し、対象物の輪郭や存在を明確にすること、そして空間における情報の伝達をスムーズにすることです。
特に重要なのは、背景となる色と、識別したい対象物の色との間に十分な明度差や彩度差を設けることです。一般的に、明るい色と暗い色の組み合わせ、または彩度の高い色(鮮やかな色)と彩度の低い色(落ち着いた色)の組み合わせが見分けやすいとされています。
しかし、注意点もあります。過度に鮮やかすぎる色や、多すぎる色は、かえって入居者さまを刺激しすぎたり、混乱させたりする可能性があります。あくまで空間全体の落ち着きや安心感を保ちつつ、必要な場所に「分かりやすさ」のためのアクセントとして色を効果的に配置することが重要です。
大規模な改修が難しい場合でも、すぐに現場で試せる実践的なアイデアはたくさんあります。
- カラーテープ・シートの活用: 段差の縁、手すり、ドアノブ、家具の角などに、コントラストの高い色のカラーテープや滑り止めシートを貼る。
- 小物の活用: クッション、ブランケット、タオル、食器、コップなどを、部屋や場所のテーマに合わせた、あるいは識別したい対象物の目印となるような色のものを選ぶ。
- サインの色分け: 部屋番号やトイレ、食堂といった表示を、背景と文字の色にコントラストをつけ、かつ場所ごとにサインの色を統一するなど、視覚的な分かりやすさを追求する。
- 照明との組み合わせ: 特定の場所(例えば手元や足元)を明るく照らすことで、色の視認性を高める。暖色系の照明はリラックス効果が期待できますが、対象物の正確な色や形を識別するには昼白色や白色の照明が適している場合もあります。場所の機能に合わせて照明の色や明るさを調整することも重要です。
これらの小さな工夫でも、入居者さまが「あれはなんだろう」「どこに行けばいいんだろう」と迷ったり不安になったりする機会を減らし、「あ、ここだな」「自分でできた」という成功体験に繋げることができます。
色彩デザインによる入居者の変化事例(フィクション)
A施設では、以前から入居者さまがトイレの場所を間違えたり、夜間に部屋から出てきて廊下で立ち止まってしまったりすることが課題でした。そこで、廊下と居室、トイレのドアに色彩を活用する取り組みを行いました。
まず、廊下の壁を落ち着いたベージュとし、各居室のドアはそれぞれ異なる、しかし識別しやすい色の組み合わせ(例えば、水色、黄緑、ピンクなど)にしました。ドアの脇には、入居者さまの好きな絵や写真を飾るスペースを設け、背景にドアの色とコントラストのある色紙を貼るようにしました。
さらに、トイレのドアは、廊下の他のドアとは明らかに異なる、視認性の高い濃い青色としました。トイレ内の便器周囲の手すりには、壁の白に対して目立つオレンジ色のカバーを取り付けました。
この変更後、スタッフから驚きの声が上がりました。「〇〇さんが、自分の部屋のドアの色を見分けて、迷わず部屋に戻れるようになった」「夜間、トイレの青いドアを探して、一人で行けるようになった方が増えた」「以前は廊下で立ち尽くすことがあった△△さんが、トイレの場所が分かって安心したのか、すぐに部屋に戻るようになった」といった報告が続々と寄せられました。
これらの事例は、色彩が単なる装飾ではなく、入居者さまの安全と自立を直接的にサポートする強力なツールであることを示しています。「見えやすさ」「分かりやすさ」を高めることは、混乱や不安を減らし、入居者さまが自信を持って行動できることに繋がるのです。
結論:色彩で「分かりやすさ」を高め、安全と自立をサポートする
この記事では、高齢者の視覚特性や認知機能の変化がもたらす「見えにくさ」「分かりにくさ」という課題に対し、色彩デザインがどのように貢献できるか、具体的な事例とともに解説しました。
段差や手すりの識別性を高めること、操作部分や家具の輪郭を明確にすること、そして場所の機能や方向を示すサインに色を活用することなど、色彩は入居者さまが空間や物体の情報を正しく認識し、安全かつ自立的に行動するための重要な手がかりとなります。
色彩デザインによる環境整備は、転倒や衝突といった事故のリスクを減らすだけでなく、入居者さまが「自分でできる」という自信を取り戻し、活動意欲を高めることにも繋がります。これは、入居者さま一人ひとりのQOL向上に大きく貢献する取り組みです。
施設全体の大規模な変更は難しくても、カラーテープや小物の活用など、現場でできることはたくさんあります。ぜひ、日々のケアの視点に「色彩」という要素を加えてみてください。入居者さまの安全と自立を支える新たな可能性が、きっと見つかるはずです。
色彩の力を借りて、「見えやすく、分かりやすい」安心できるケア空間を一緒に作り上げていきましょう。